HIKAKIN(ヒカキン)の歴史!高校卒業後は大学進学?スーパー店員からブレイクまで。

HIKAKINさんといえば、日本人Youtuberのパイオニア的な存在。

そして、Youtube動画といえば今では炎上を狙っている人たちが多い中でヒカキンさんはクリーンで登録者数、再生回数を伸ばしている。

日本のYoutubeの礎を築いた人、また始める時期も時期だったからそれが可能といわれればそれまでではありますが、なかなかできることではありません。

Youtubeでジャパニーズドリームを築き、資産は100億円を超えているとも噂さされています。それでいてヒカキンさんはそこまで物欲がない。

そんなこともあってか、慈善事業にかなり力を入れています。金持ちではありますががめつさいやらしさが感じられないのも特徴的。

そのヒカキンさんがいかにしてここまで成り上がったのか?高校、大学、スーパーの店員時代までまとめてみました。

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HIKAKIN(ヒカキン)の学歴!高校はどこ?

HIKAKIN(ヒカキン)さんは2005年に新潟県立新井高等学校へ進学します。

住所 〒944-0031 新潟県妙高市田町1丁目10−1

偏差値 51
新潟県内 47位/136件中
新潟県内公立 34位/104件中
全国 3353位/10,025件中

妙高市にある唯一の公立高等学校。伝統100年以上の古い高校。学年二年上にセイキンさんがいます。セイキンさんも同じく新潟県立新井高等学校。

もちろん、同級生のマスオさんも同じくこちらの新潟県立新井高等学校を卒業されています。

ヒカキンさんはスキー部に所属しておりました。2008年にヒカキンさんが自身のYoutubeチャンネルにスキージャンプの練習動画を投稿されています。一瞬で終わりますがその時の動画がこちら!

素人にはわかりませんが、このジャンプはすごいんでしょうね。実際、HIKAKINさんは小学校から高校までスキージャンプの練習に打ち込んでいました。オリンピック出場を目指して日々練習の毎日だったそうです。

また驚きなのがスキージャンプ選手の高梨沙羅選手はヒカキンさんのことを知っていました。同じ合宿に参加していて「HIKAKINのことを面白いおにいちゃんだった」とコメント。つまり、それだけの実力者だったというコトなのが伺えますね。

こちらが、HIKAKINさんがYoutuberとして大成功。たぶん、この頃は日本一の頃ですね。地元の妙高市にある妙高赤倉ジャンプ練習場へ行った時のこと。

このように元スキージャンプの選手で、オリンピック選手とも交流があるのはすごいこと。

ヒカキンさんの最高成績が、中学時代に全国8位の成績を出すほどだったが、オリンピックの夢かなわず。その後、ヒューマンビートボクサーを目指します。

HIKAKINさんは中学生のころからヒューマンビートボックスをやっており、高校3年で部活を引退してからは毎日のように練習をしていました。

ちなみに、2006年、高校2年生のときにYoutubeに初めてヒューマンビートボックスの動画を投稿されました。

時代を感じる動画ですね。この頃はまだ今のように画質が進化していませんのでこんなもんです。

HIKAKINさんの今の動画をみると「高校時代にこんな動画をだしていたの?」と思えるぐらいの違いです。

コメントには、

「12年後にとんでもない大スターになる男」
「これがたった13年前か、、13年しかなくても人は変われる。」
「日本の最強ユーチューバーになることをこの頃の彼はまだしらない。。。」
「HIKAKINがここから人気になったって思うと本当HIKAKINすごいわ」

など、ヒカキンさんの原点、ここからスーパースターになるぞという応援のコメントがたくさん書かれてありました。

ちなみに、ヒカキンさんは高校時代はあまり勉強が得意ではなかったそうです。数学と英語がだめで、国語、社会、音楽がすきだったそうです。

ヒューマンビートボックスなんてされていたわけですから、やはり音楽は好きだったのが伺えます。

お兄さんのセイキンさんはそれなりに勉強ができたそうです。

高校卒業後は大学に進学せず、小さなスーパーに就職

兄のSEIKINさんは大学に進学しましたが、弟のHIKAKINさんは大学には進学しておりません。

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高校3年次に、新卒でスーパーマーケットに就職を決めます。

2008年に高校を卒業した後に上京するわけですが、ここでビックリしたことが、貯金がたったの2万円しかなかったのです。

HIKAKINさんは高校時代にアルバイトなどは一切してこなかったのでお金がなかった。だからお小遣い、お年玉で貯めたお金、2万円だけを持って東京へ。

これに対して「家はどうしたの?」「家を借りないといけないんじゃない?」という質問もありました。

HIKAKINさんが就職したスーパーは東十条に寮があるのでアパートなどを借りなくても生活することはできたのでその辺は問題なかったそうです。

しかし、給料が入るまでは「2万円がなくなるのは怖かった。」ということで、超節約。

値引きシールのついた食パンを購入し、実家から送ってもらったココアパウダーをかけて食べていたそうです。しかし、これが意外にもおいしくて気に入っていたとか。

このような貧乏時代を経験しているからこそお金の大切さというのがよく理解できているのかもしれません。

これまで、田舎のしか知らない。スーパーに就職してみたら、食品部門に配属され、早朝の品出し、倉庫の整理が日々の仕事。慣れない満員電車も大変。

力仕事もしなければいけないので、帰宅後はくたくたになっている。そーいう生活を送りながら動画投稿を続けていたのです。

また、上京後、2年間は大きなことができなかったといいます。

それは、ヒューマンビートボックスの動画は投稿し続けてはいたけれども、「YouTubeパートナー(広告収入を得るシステム)」を申請しても却下される。

しかし、ヒカキンさんはめげずに「YouTube側からオファーされるようになってやる」と熱意をもって動画投稿に励みます。

これがきっかけで、「視聴者側の視点に立った動画作りを心掛ける」ということを意識するようになったのです。

Youtubeと並行しながらニコニコ生放送もやっていた?

ヒカキンさんはYoutube動画の投稿と同時に、2009年からサービスが開始されたニコニコ生放送でも動画配信を始めます。

ニコ生第二世代でブレイクした生主の一人がコレコレさん。

当時のHIKAKINさんは、コレコレさんのリスナー、所謂コレリスだったのです。

今では全く正反対の方向にいるお二人。ヒカキンさんもコレコレさんもまさか近い未来ヒカキンさんがここまでブレイクするとは思っていなかったはず。

この動画をコレコレさんの配信で取り上げてもらってニコ生の中で多少知名度を上げた?しかし、ニコ生時代のヒカキンさんは鳴かず飛ばず。

ちなみに、ヒカキンさんが売れ出したあとコレコレさんと喧嘩してTwitterのフォローを外すという事態にまで発展したことも。

今では一切か関わらないようにしている様子。

スーパーマリオブラザーズのBGMをビートボックスメドレーにした動画「Super Mario Beatbox」でブレイク。

2010年に1本の動画がブレイク

2010年に『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのBGMをビートボックスでメドレーにした動画「Super Mario Beatbox」をアップロード。この動画がYouTubeにおける日本国内月間アクセス一位を記録し、アメリカ合衆国の『CBS News』のトップニュースで取り上げられる。アップロードの24時間後に20万アクセス、1週間後に100万アクセスを記録しその後、YouTube側からYouTubeパートナーのオファーが来る。HIKAKINにとってはこの出来事による喜びが自分の原点だと語っており「スーパーの店頭で客に怒られたり、上司に嫌味を言われても自分にはYouTubeがある」と思っていたとのこと

ウィキペディアより

今ではYoutubeのパートナーシップは簡単。チャンネル登録者数が1000を超えていればいける。数年前は誰でもパートナーシップは出来ました。それを考えると昔は非常に厳しかったのが伺えます。

ヒカキンさんは諦めずコツコツYoutube動画を投稿したことが成果につながったのでしょう。ヒューマンビートボックスのプロもヒカキンはすごすぎると技術を褒めてました。つまり、それだけバズる要素のある動画を作り続けていたということでもあります。

2011年 Youtubeパートナーフォーラム

2011年6月に日本で「YouTubeパートナーフォーラム」が開催される。当時は動画を投稿して生活するという考えさえなかったが、当イベントでアメリカのYouTuberであるミシェル・ファンに出会い、彼女の演説に感銘を受けたことが転機となり、本格的に動画投稿を始める。その後、「YouTube NextUp 2011」という受賞者は10組、賞金が200万円のコンテストが開催されチャンスが訪れる。当時、チャンネル登録者数が日本で1位だったため、周りからも受かるだろうと思われていたこともあり「これで会社を辞めて、YouTubeに専念できる」と自信を持ってコンテストに挑戦したが、落選した。屈辱的な挫折を味わったその後、YouTuberへのアドバイザーの仕事をしている佐藤友浩に相談を求める。そこで、動画作りの基本をまとめたハンドブックをもらい、個別にも沢山のアドバイスを受ける。自身でも、国内外のトップクリエイターの動画を研究し、タイトルやサムネイルなどの編集スキルを真似していった。そうすること3ヶ月程、気づいたらYouTubeからの収入が会社員の給料を超えていたという

ウィキペディアより

つまり、チャンネル登録者数が日本一だから俺は大丈夫だという油断がきっかけで大成したのでしょうね。仮にヒカキンさんがここで受賞していたとしたら今のように謙虚な人になれなかったのかもしれません。うまくいかなかった、なんでだろう。その悔しさをばねに研究できたのも挫折があったからだと思います。ちなみに、この頃は

2012年 会社を辞めて専業Youtuberへ

2012年にはスーパーの仕事を退職し、動画の投稿を通じた広告収入で生活する道を進むことになる。会社員時代については、「好きなことを仕事にできていなかった事から辛かった。でも、『僕はただのサラリーマンじゃない。動画を作って、海外からもたくさん見られてるんだ』という意地のおかげで、仕事も続けられた。」と語っている

ウィキペディアより

この頃のヒカキンさんはまだとがってました。

「24時間テレビやっていたのかー。知らなかった。テレビがつまんなくなったというかネットが面白くなりすぎてるんだよねぇ。」というツイートをされています。他にも原発の投稿とかもこの時期です。何を切っ掛けでクリーンになったのかは知りませんがもともとはニコ生主側の思考ですよね。

2013年 エアロスミスと共演

2013年5月のシンガポール滞在中にエアロスミスとの共演を果たし、1万5000人規模の会場で「ウォーク・ディス・ウェイ」を共に演奏した。その後もNE-YO、アリアナ・グランデなどの海外アーティストとの共演を行っている。同年6月にはYouTuberの事務所「UUUM」の設立と共に同社のファウンダー、最高顧問に就任する。2021年4月8日に自身のYouTubeチャンネルの登録者数が900万人を突破した

ウィキペディアより

終わりに

ヒカキンさんの高校時代のエピソードからブレイクするまでをヒストリー形式にまとめてみました。

今では億万長者になっていますが努力家であり苦労人であるのも伺えます。

スキーの才能、ヒューマンビートボックスの才能もあるからYoutubeで成功したかというとそれはちょっと違うと思います。

コンテストで敗退したときも「俺は1番だぞ、世間が俺に追い付いていないだけだ!」という傲慢な思考な人ならおそらく成功はしていないでしょう。

そーいう意味でも昔から素直、客観的にものごとを考えることができるという。動画投稿者においては必須スキルがあったのだと思います。

やっぱり、基本は大事。謙虚に客観視できるってのは何事においても重要なことです。

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